タマン族の12支のひとつは”猫年”?
2005.8.14 追記
チベット文化圏ではネパールのカトマンズ盆地の東・北部に住むタマン族が「猫年」を使っています。ところで12支にはそれに対応する動物がいて、日本でも12支とそれらの動物名とは使い分けられているのでチベット語とタマン語の12支専用語と一般語を対照させてみると、次のようになります(それぞれGoldstein 各ページ、Moktan p11。タマン族の12支図はこちら(2006.4.25 追記)。
1.子(鼠) 2.丑(牛) 3.寅(虎)
チベット語:byi(tsi tsi,byi ba:鼠) glang(glang:牛注1) stag(stag:虎)
タマン語 :jiwa(namngyung:鼠) lang(mhe:牝牛/glap:雄牛注1) taa(cyan)
4.卯(兎) 5.辰(龍) 6.巳(蛇)
チベット語:yos(ri bong注2:兎) 'brug('brug:龍) sbrul(sbrul:蛇)
タマン語 :yhoi(tawar:兎) Duk(mu pukhri:龍注3) Dul(sa pukhri:蛇)7.午(馬) 8.未(羊) 9.申(猿)
チベット語:rta(rta:馬) lug(lug:羊) strel(stre'u:猿)
タマン語 :tag(ta:馬) lhuk(gyu:羊) Te(makar:猿)
10.酉(鶏) 11.戌(犬) 12.亥(猪)
チベット語:bya(bya:鶏注4) khyi(khyi:犬) phag(phag pa:豚)
タマン語 :jya(namya:鳥) khi(naki:犬) pha(Dwa:猪注5)
*左が12支専用語で、右の( )が一般語。チベット語とタマン語の一般語(動物名)は下記の注にもとづき訳してあります。
*タマン語のji・T・Dの音はチベット語の上の転写文字by・tr・brの発音と(声調を除いて)ほぼ同じです。
注1:チベット語の一般語では雄牛。タマン語でも12支は”牛”と思われます。
注2:12支専用語と一般語との上の対照表をみればわかるように”卯年”(yos'i lo)と”兎”(ri bong)だけがかわった不思議な対応をみせています。この対応のずれやyosとri bongのちがいについてはこちら。
注3:mu pukhri(龍)はMoktan(p11)の12支専用語Duk(龍)やTamang(p56)の英訳(dragon)をもとに訳しました。しかしそれらのネパール語訳はgaruDa sarpa(ガルダ蛇)で、これが”龍”のことでしょう。なおグルン語(Gurung p56)ではこの12支はガルダ年(garuDa varga。garuDaはビシュヌ神が乗る想像上の鳥。鷲とも。vargaは”種”・”群”などの意ですが、”年”と訳した)となってます。
注4:チベット語の一般語では”鳥”。なお12支のbyaを”鶏”、glangを”牛”、phagを”豚”(中国語では”猪”は”豚”)としたのは于(p649,p178,p606)による。
注5:Tamang(p56)ではDowa(猪)/tili(豚)(英訳はどちらもboar)、Lama(p30)の動物名ではDowo(猪)、Royal Nepal Academy(p75、p107)ではbanel(猪)の訳はrinTa/banel(グルン語はto)、sungur(豚)はtili/Tawa(グルン語はtili)となっていて”猪”らしいですがよくわかりません。
さて上の比較からタマン語の12支はチベット語の12支と似ていますが、それに対応する動物名はタマン語固有名であることがわかります。そこで中国語、チベット語とタマン諸語注6の卯年に相当する12支専用語と一般語の”兎”と”猫”を比べてみると、次のようになります。
卯年に相当する12支 兎 猫
中国語 :mao3 tu4zi(兔子) mao1
チベット語:yos ri bong zhi mi
タマン語 :yhoi(猫注7) khara注7 tawar
グルン語 :hi lo(猫年) ? nwa
マナン語 : ? rupung2,ripung2 nokor3
タカリー語: ? ? nokar
*中国語とマナン語のローマ字のあとの数字は声調(以下同じ)。
*中国語は中日大辞典刊行会(p955,p1443,p952)、チベット語はGoldstein(p1056,p1083,p972)、タマン語はそれぞれMoktang(p11)、Tamang(p38:またLama(p30)にも)、Moktang(p18)、グルン語はGurung(p56,p32)、マナン語はHoshi(p161,p161)、タカリー語はSIL(p98)より。注6:ポカラ周辺のグルン族のグルン語、その北方マナン地方のマナン人のマナン語、またそのマナン語地域西方のムスタン以南のタカリー族のタカリー語などはタマン諸語に属します。
注7:yhoi (lho)を”猫(年)”と訳しましたが、下記のTamangの本ではすこし違います。そこでその違っているところを、次にMoktang(p11:左の表)とTamang(p56:右の表)から引用すると次のようになります。左の表: /tawar(猫) hyoi(猫) /biralo(猫)
右の表:khara(兎)/tawar(猫) hyoi(卯)/he(猫?) khara(兎)/biralo(猫) Rabbit/cat
*hyoiと同源と思われるチベット語のyosは”兎”。またheと同源と思われるグルン語のhi は”猫”(Gurung:p56)。kharaはネパール語のkharayo(兎)の借用語では?。
*Tamangのこの(右)の表では”lho jyaba(COUNTING YEAR)”と紹介されているので”卯年”と”猫年”の両方が書かれていると解釈できるのですが、さてこの表はどのように読めばよいのでしょうか。
ところで上の比較から中国語の12支の”卯”(mao3)と動物名の”猫”(mao1)を比較すると声調だけが違っていることがわかります。つまり12支専用語の”卯”の発音が一般語の動物名の発音とよく似ていることから、12支専用語の”卯”をあやまって動物名の”猫”として受容したために”卯年”が”猫年”に変わった原因ではないかと考えることができるでしょう。
さて”卯年”が”猫年”にかわった原因をこのように考えてみたのですが、現代中国語の声調の違いは古代の発音の微細な違いに基づいていると考えられるので、ここで『中国音韵学研究』(p659)の著書のなかで”猫”と同音であったとカールグレンが考えた”苗”の再構音を見てみることにします(なお”苗”の同音と考えられる漢字がならべられている文章も一緒に引用します)。
「[ mju]:54 描,55 ■,56
渺,57 杪, 58 藐, 59 廟,60
妙;・・・・・(これ以後の注は省略)。」
*”53 苗”の表は省略。
*■は豸篇に苗(猫に同じ)。
また先秦時代の「先秦33声母例字表」(『漢語語音史』 p26)のなかで頭子音がmで始まる「明母」の漢字が、次のようにあげられています。
「(4) 明母 [m](改行)
(最初から省略)・・・・・緜免緬面滅; 苗眇廟妙; 茅卯貌; 毛帽;・・・・・(以下省略)。」
*緜は綿に同じ。
*参考までにそれらの現代音(中日大辞典刊行会 各ページ)をあげておきます。
緜免緬面滅:mian2(緜),mian3(免),mian3(緬),mian4(面),mie4(滅);
苗眇廟妙 :miao2(苗),miao3(眇),miao4,(廟)miao4(妙);
茅卯貌 :mao2(茅),mao3(卯),mao4(貌);
毛帽 :mao2(毛),mao4(帽);
にわか勉強なので上に引用した文章の意味をいま説明することができませんが、中国の先秦時代には”卯”は「茅卯貌」と同音で、”猫”は「苗眇廟妙」のなかで同音(?)とみられ、それゆえに現代音でそれぞれmao3(卯)、miao2(猫)となったと考えられます。つまり現代における”卯”と”猫”の声調の違いは古代のそれらの音のあいだのごく微細な違いに由来していると考えることができ、そのことから”卯”と”猫”の音をより時代をさかのぼれば、”卯”と”猫”は同音であった可能性がでてくるでしょう。そしてもし着想が正しければ”卯年”と”猫年”とのいれかわりの原因は12支専用語の”卯”と一般語の”猫”の発音の似かよりによるというよりは、”兎”と”猫”を古代人は違うものとして認識していなかったため、つまりあるひとつの言葉(音)で”兎”と”猫”をとらえていたためではないかと考えることができます。そしてこういう風に考えてくれば”兎”と”猫”が入れ替わり、そこから”卯年”と”猫年”のいれかわりが起こったのも納得がいくきます。実際のところタマン族などのあいだでいつどのようにして”卯年”と”猫年”がいれかわったのかはわかりませんが、その根本的原因は”兎”と”猫”が同じ範疇の動物として古代人がとらえていたためではないかと思うのですが、どうでしょうか。
さてこのように”兎”と”猫”が古代には同じ言葉であらわされる動物であったと考えてみたのですが、現代中国語にもその痕跡と思われる語”野猫”があります(中日大辞典刊行会 p1696)。
「野猫(ye3mao1):@→猫狸 Aうさぎの別称 B《罵り語》野良ねこ.夜に帰る人.(以下略)」
*猫狸(mao1li2)=〔《俗語》野ye3猫@〕りすのような大きい尾をもった山猫の一種,単に〔狸〕ともいう。中日大辞典刊行会 p952)。
上の引用から”野猫”には”兎”の意味もあることがわかります。そしてこのような”猫”と”兎”のあいだの似かよりはチベット語にもみられます。
:中国語訳 左の中国語からの和訳
ri zhim :山猫,野猫*,狸猫(于 p919) 「山猫」「うさぎ」「山猫の一種」
wild cat(ヤマネコ):野猫(Tashi p1188) 「猫狸」または「うさぎ」(?)
*ri zhimの中国語訳”野猫”は上に引用した「野猫」から考えて”うさぎ”と考えられるでしょう。
ところで中国語の「野生の」の意をあらわす”野(ye3)”(中日大辞典刊行会 p1695)と「山」の意であり、合成語の語頭で「山の、野生の」の意がみられるチベット語のri(Goldstein p1082)の合成語を比較してみると、次のようになります(12支専用語(卯)と一般語(兎・猫)のチベット語についてはこちら)。
中国語 : ?/野獣 猪/野猪 ?/兔子 /野兔 猫/山猫、野猫、狸猫
(その和訳: ?/野獣 豚/猪 ?/うさぎ/野うさぎ 猫/山猫、兎、山猫の一種)
チベット語:dwags注8/ri dwags phag/ri phag bong/ri bong/ri bong注9 zhi mi/ri zhim注10注8:dwags po(于 p500:〔地名〕塔布。西蔵自治区山南(lho kha)地区)やla dwags(于 p938:〔地名〕拉達克(ラダック))などのdwagsと関係があるのでは。
注9:yosとri bongのちがいは次のようになってます(下記書の各ページより引用)。yos yos lo ri bong
Goldstein(T-E Dict.) :rabbit year of the rabbit rabbit
Das(T-E Dict.) : hare,rabbit(12支専用) hare,rabbit
Jschke(T-E Dict.) : hare-year(12支専用) harehare hare year rabbit
Goldstein(E-T Dict.) :yos yos lo ri bong
Jschke(E-T Vocabulary):ri bong - -
*私の見た『新英和中辞典』(携帯版。研究社 1968(初版7刷))ではhareは「野うさぎ 《rabbitより大きく,・・・》」、rabbitは「飼い[家]うさぎ《hareよりも小型》」との訳があり、hareとrabbitの絵も載っていますがそれを見ると”hare”のほうが”猫”に近くみえます。上の引用からはもうひとつyos(12支専用)とri bongのちがいはわかりませんが、格西曲札(p826)ではri bongは「yos(兎)に似た野獣ri bong(兎)。野兎。」とあり、ri bongは「野うさぎ」と考えられます。中国語”野兔”(ye3tu4r)は「野うさぎ」(中大辞典刊行会 p1697:ただし上の『格西曲札』では日本語と同じ”兎”が使われている)
注10:ru zhumとも。そのru zhumのチベット語による説明では「山にいる”猫”(zhum bu)あるいは”猫”(byi la)」、中国語訳は「山猫,野猫,狸猫」となってます(この項は張(p2679)より)。zhimはzhi miの短縮形。ri bongは「野生のbong(?)」(野うさぎ?)、ri zhimは「野生のzhi mi」(山猫。それとも兎?)。
このように”兎”と”猫”は同類として近いとみることができるでしょう。つまり古代人は”兎”と”猫”を同類のものとしてとらえていて、そのことから”卯年”と”猫年”とのすりかわりが起こったと考えることができるのではないかと思います。
ところでタマン語の12支を調べていて偶然にもグルン語とレプチャ語注11にかわった珍しい12支をみつけたので参考までに書いておきます。
A.グルン語
4.卯年/兎 5.辰年/龍 12.亥年/猪
hi lo(猫年)/hi(猫) mupri lo(鷲年注12)/mupri注13(ガルーダ) pho lo(鹿年注14)/pho(鹿)*Gurung(p56)より。
*斜線の左が12支専用語、右が一般語(ただし、12支専用語をそのまま一般語として記載)。注11:ネパール最東部からインドのダージリン・カリンポン、シッキムに住むレプチャ族の母語。自称はロン(rong)。lapchaとも。
注12:mupri loを”鷲年”としたことについてはこちら。
注13:mupri(天+蛇)と関係するapri(地+蛇)にもpriが見られますが、sarpa(蛇)の訳(Royal Nepal Academy:p102)としてはhpuriです。またタマン語(Moktan p11ほか)でもmu pukhri(龍)、sa pukhri(蛇)、マナン語(Hoshi p141)でもsnakeの対応語としてpukrii2があるのでグルン語のpriの頭音pではなく、puではじまるのかもしれませんが、よくわかりません。
注14:SIL(p99)では”deer”の訳、またRoyal Nepal Academy(p88)ではmirga(鹿)の訳としてどちらにもphoがあるのでpho loを「鹿年」と考えてまちがいはないでしょう。なおこのphoはチベット語のphag pa(豚。12番目の亥にあたる)と関係あるに違いないと思うのですが、ではどこでこのようなすりかわりが起きたのでしょうか。
B.レプチャ語
4.卯年/兎 5.辰年/龍
kum-tyon nam(鷲年)/kum-tyon注15(鳶) sa-dyar nam/sa-dyar注16(雷電年/雷電)
/garuDa(ガルダ鳥注17) /bajra(雷電)*上表の上段はMainwaring(p357)、上表の下段はTaknilamu(p17)。
注15:一般語kum-tyon(Mainwaring p21)には”see pun-tyon”とあり、そのpun-tyon(Mainwaring p216)の訳は"kite,eagle year(4th cycle of y.)"なので、それを和訳。Chemjong(p49)にはkamthyongの訳としてchil,Kite(ともに”鳶”)があります。そこで英語ーネパール語辞典を見ましたがkite(鳶)とeagle(鷲)はともにchil(鳶)の訳がいく冊かにみられ少し混乱しています。
注16:一般語sa-dyar(Mainwaring p398)の訳には”thunderbolt T. rdo-rje;the name of 5th cycle of years sa-dyar nam”、またChemjong(p320)にもsaderの訳として”bajra,Thunderbolt”とありましたが12支には動物(生き物)の名をつけるのが自然なのでbajraやチベット語訳されたrdo-rjeの意味の一つである”金剛(杵)”をとらず、”雷電”(雷と稲妻)としました。
注17:Taknilamu(p17)によれば、「12支にはそれぞれ動物の名がついている」とあり、そこにはそれらの名前がネパール語でgaruDa(ガルダ鳥)、bajra(雷電)となってます。
引用書
1.Tibetan-English
Dictionary of Modern Tibetan(by:Melvyn
Goldstein 1975,Kathmandu)
2.tamang-nepali
abdawari(『タマン語ーネパール語単語集』
by:Dup Wanggel Moktan v.s.2050,Kathmandu)
3.tamang
gyotla gyam chebum(Basic
Word Book for Tamang Language)(by:Ajitman Tamang 2830,Kathmandu)
4.hoi-sher(tamang bhaa ko vyakaran tatha abdako,Grammar
Cum Dictionary of Tamang Language)(ed.Shukra Raj Lama & Gopi
Ram Wal v.s.2059,Kathmandu)
5.tamu
kyui cheke de dai rome(『グルン語のささやかな贈り物』
by:Amar Bahadur Gurung v.s.2015,Kathmandu) *副書名(gurung
bhaako sakipt koseli)からの訳
6.A
Prakaa Vocabulary---A
Dialect of the Manang Language(by:Michiyo HOSHI 1984)
7.Clause,Sentence
and Discourse Patterns in selected Languages of Nepal W:Word
List(SIL 1973)
8.paryavachi
abda-ko(『同義語辞典』 ed. by:Royal Nepal Academy
v.s.2030,Kathmandu) *ネパール語ー13民族語(ネパール国内のタマン語・グルン語・レプチャ語など)対訳語彙集。2914語項目)
9.Dictionary
of the Lepcha Language(by:G.B.Mainwaring
1979(rep.),Kathmandu)
10.lepcha
jatiko utpati au sRiTiko ek jhalko(『レプチャ族の誕生と創造の一瞥』
by:Nima Taknilamu 1968,Darjiling)
11.rong-lum-mikdum
ringko(lapcha-nepali-angreji-abdako,Lapcha-Nepali
English-Dictionary)(by;Iman Sing Chemjong v.s.2026,Kathmandu)
12.『中国音韵学研究』(高本漢著 商務印書館 1995(北京版) 北京) *カールグレン著『Etudes
sur la phonologie chinoise』の中文改訳本です。
13.『漢語語音史』(王力著 中国社会出版社 1985 北京)
14.『中日大辞典』(愛知大学中日大辞典編纂処編 中日大辞典刊行会 1980(6刷))
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